落ち着かない落ち着かない落ち着かない。そうやっていつまでも室内をうろうろしていたらさすがに氷浦の目にも余ったらしく、盛大なため息をつかれた上で「、とりあえず座ったらどうだ」と言われてしまった。相変わらずの低音ボイスで名前を呼ばれたことにに若干のときめきめいたものを感じながらも、それとはまったく違ったもので占拠された脳内ではそんな小さな幸せもあっという間にかき消されてしまった。とりあえず今の私には落ち着くことが出来ないのだ、残念ながら。それでも視界の隅に映る氷浦の目がそろそろ気になってきたので一応勧められたままに近場にあった椅子に腰掛ける。この椅子が自分の部屋にあるソファ並みに座り心地の良いものならば多少なりとも本来の自分を取り戻すことが出来たかもしれないけれども、備品です、という自己主張を決して怠ることの無いこれが相手ではそれも無理な注文なのかもしれない。せめて時間の進行速度がもっとはやければ良いのに。1時間は60分もいらない。50分、むしろ40分でも良い。定期考査を前にして追い込みの勉強をしている時にも、学校行事の準備をしている時にも、仲間と取り留めの無いことで盛り上がる時にも、いつもこの部屋にいる時には正反対のことを思うのに、変だ。今日の私は、とにかく変だ。
「氷浦、助けて」 思わずそんな言葉を呟いてしまうほどに今日の私は何処かがおかしい。助けを求めた相手もそれを充分に分かっているから多分何も言わないし何もしない。実際氷浦はちらりと私の方を一瞥しただけでまた元の体制に戻ってしまった。目線は既に机上の書類に注がれているだろう。私にも何か仕事があれば良かったのに。何故かこんな時に限って自分に出来る仕事が思いつかない。雑用なんて山のようにあるのだから探せばいくらでも出てくるはずなのに。来週の会議用のレジュメは昨日既に完成させてしまったし、第一考えなければならない仕事では意味が無い。何か単純な、その作業に没頭できるような。あぁ、まだこんな時間。早く、早くあの12の文字を通過して。早く短い針の方向を重力と垂直にして。はや、く。 お互い無言になってしまってから幾分かの時間が流れた頃、何の予告も無しに、至極いつもどおりの感覚で氷浦の携帯が震えた。携帯とはそういうものだ。大して意味も無い単語でも、今回のように重要な意味を持つことになるであろう音声でも、同じ様に自らの体を懸命に振動させて、持ち主に情報の到来を告げる。私は反射的に自分の携帯を強く握り締めた。機械自身は震えていないのに、何故か震えている気がする。これは、多分私自身が震えているのだろう。氷浦が手元に待機させておいたそれを拾い上げ、通話ボタンを押すまでの動作をひとつも見落とすまいと凝視する。電話だ、メールじゃない。そんな私の視線を受け止めるでもなく、かといって不自然に逸らすわけでもなく、氷浦は話し出す。あの、魅惑的な低音が奏でる「もしもし。あぁ、お疲れ様」。その一言で、電波に乗っている音声の主を特定することが出来た。やっぱり彼だ。安堵感から泣き出してしまいそうになった。全身から力が抜ける。氷浦の声の感じから察すると、大したことはないのだろう。そうだ、それでこそ彼だ。人間以外の何かが彼の身体を蝕もうと懸命に努力したところで、彼には敵わないのだ。氷浦が苦笑している。きっとまた普段通りの調子で捲くし立てているんだろう。そんなことを心の中で実況中継していると、氷浦が「あぁ、分かった」と言って私に携帯を差し出した。もう確信をもっているからそんなつもりは無かったのだが、つい画面上の名前を確認してしまう。そこにはいつもの見慣れた漢字の羅列。番号は文明の利器に頼りっぱなしでさすがに覚えていなかったから意味を成さなかったけれども、そこに並んでいる数字がいやに大きく見えた。そしてそれを耳に当てる。その手はもう震えてはいなかった。 「もしもし、君島? …あ、うん、そう生徒会室。 …ん、わかった。 …あそっか。 …うん。 …あのね、バスケ部の鈴木君が凄く心配してたから彼にも連絡してあげて? …何? …それは良いからさ、全然。それよりも君島、早く寮に帰っておいでよ、笑ってあげるから松葉杖姿。 …あ、はいはい。ちょっと待ってね。 氷浦、君島がもう一度代わってくれって」 月が見ているよ、 |