恰好良い、っていうのは多分世間一般的には誉め言葉の部類に入る言葉なんだと思う。捻くれ者の嫌味として放たれたそれでなければ、そう言われて不快に思う人のほうが少ないんじゃないかとも思う。それを理解出来ないほどに私の頭はお馬鹿さんではないはずだし、そうであると信じているのだけれども、どうしてもその言葉を素直に受け取れなくて、素直に喜べない自分が、ここにいる。この気持ちを一言で表すなら「消化不良」。だからこのもやもやを晴らすべく、私が思う「恰好良い女性代表」の元へと足を伸ばす。蝶子先生は、こんな私のことをどう思うだろうか。


、お前にそんな事を言ったやつ、大切にしろよ」


先生は私の話を一通り静かに聴いてくれて、そして開口一番にそんなことを言った。そして、自分のことを誉めてくれる人間はそう多くは無いものだぞ、とも。言葉面を正直に受け止めるか、下手に勘繰って自分を貶めるように仕向けるかはあくまでも自分の解釈の仕方次第で、発信者の意図は発信者にしか分からないし、それは二人の間の信頼関係に左右されるんじゃないか、なんてことも教えてくれた。付け加えて、そのうち自分を違った見方で見る人間も現れたりするぞ、だって。それは先生の経験談ですか、って聞いたら静かに素敵な笑顔で返されてしまった。あぁ恰好良い、大人だ。憧れる。私もこんな女性になれるかしら。私はまだまだお子様だけれども、少なくとも一人は私のことを恰好良いって思ってくれる人がいて、多分彼にはお世辞をいうなんて殊勝なことは出来ないから、多分それは本音で、そんなことに今更気付いてそれがどうしようもなく嬉しくて。


蝶子先生に心からのお礼を言って保健室を立ち去ろうとすれば、ちなみににそういったのは一体誰なんだ、なんて先生らしくない野暮なことを聞くものだから、今日もどこかで自分の意のまま自由に生きてらっしゃる副会長殿ですよ、なんて気取って答えてしまう。先生意外と意地悪ですね、絶対最初から気付いていたでしょう?




微差の定義

自分のことが好きになれそうな、予感が耳元で喚いている。

20080512 改稿